何が起きたかは大事ではない。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

聞きたくなること

悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、怒ったこと、たくさんの出来事が日常で起こりますよね。それに陰性感情がついてくると、つい心配になります。

なんでそんなことが起こったの、それでどうなったの、その後どうしたの、その人はなんて言ったの、周りの人はなんて言ってた、などなど聞きたいことがたくさんありますよね。

医療従事者の特技、情報収集ってやつでしょうか。Oデータと呼ばれる客観的なデータを集めてはアセスメントをする、そして計画を立て介入を検討する。

介入の内容としては解決策、打開策、時には妥協策、そうやって問題解決思考型の教育を受けた身としては当然の関わりなのかもしれませんね。

色んな情報を得ては、可能性を検討し、危険性を思案する、その中で一番妥当と思われる解決策を実行する、それはとても当たり前の医療です。

解決できなければ、苦しみはそのままで、辛さもそのままですもんね。

解決策の検討

問題があるからには解決をしたい、それは利用者さんからであれ、友人や家族、職場の人間やご近所さんまでそうできるならしてあげたいですよね。

だって話しているのは問題を解決してほしいからなんですもん。

問題があるから苛立ったり、悲しかったり、悩んだりしているのだから、その原因がなくなれば穏やかに過ごすことができるのです。ならばそれを支援していきたいと思うのは周りの人間として至極真っ当な思いです。

ならば出来事についての話を聞き、不合理な点を洗い出し、現時点で解決できることはする、できないことは他者に依頼するなり、環境の変化を促すなりが妥当な解決策です。

こうしてみてはどうか、それは間違っている、その人の対応はよくない、管理者は誰なんだ、その人と話はできるか、それはそれで社会人として、とても真っ当な手段です。

大切なのは

私はアンガーマネジメントとかはあまり伝えることはありません。理論として説明することはありますが、それって我慢ですよね?とよく聞かれてしますと、んー…、一理ある…と思ってしまいます。私がアンガーマネジメントに関して無知だからだとは思うのですが。

なので私はアンガーをマネジメントすることはしません。私は本人を悩ます事象が起きた時、常に「その時どう思ったのか」「その時自分にどう声をかけたのか」を聞いていきます。

苛立った事象の内容や状況が大切なのではない、苛立った自分はなぜ苛立ったのか、その中に隠れているこだわり、価値観、信念、バイアス、トラウマその詰め合わせが大切なのです。

その事象一つを解決しても、必ずまたトラブルは起きます。

周囲の人は自分に「大切だと持っているもの」「傷つけられたくないもの」「つい思い込んでいたもの」「気づかないうちに期待していたもの」などのたくさんの重要なものを気付かせてくれます。

それを大切にじっくり分析し、見つめていくことが何よりも必要なのです。

客観的データより、主観的な思いを引き出す、自覚症状なくして問題点は出てきませんよね。

そもそもその出来事が問題なんじゃないんです。その出来事からもらったたくさんの思いが、その人の大切なものを表しているんです。だからこそ、解決しようとしないで、たくさんたくさん知ってほしいのです。

あなたの大事なものが、傷つけられたらこれだけ悲しいものがたくさんたくさんあるんだよ、と言うことを。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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