礼儀での言葉遣い。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

いつも通り

利用者さんによって、話し方や言葉遣い、声のトーンや話す速さ、色々なものを変えています。それが意識的であれ、無意識であれ、お互いが心地よい空間を作り出そうとする気持ちが大切だと思っています。

お互いが創り出す手作りの空間で、その二重奏がたまらない幸せを産み出す事もあります。

ですが、全く知らない人間同士が同じ時間を共有することは、努力なしでできるものではありません。

訪問看護という異質な場で、最初から楽しんでくれること、気を許してくれることは、もちろんあまりありません。医療従事者が家にくることに納得して頼ってくれる場合もあれば、警戒心が高く、過緊張で出迎えてくださる方もいます。

そんな時にどんな自分でいれば、生活の中に溶け込ませてもらえるのか、そんなことを考えながら自分自身をコーディネートしていきます。

いつも通りから著しく逸脱はしないけれど、でもいつもではない。でも自分ではあるという新しい一面を発見できる楽しい機会です。

気遣いとは何か

言葉遣いがとても丁寧だからと言って、皆さんからご好評いただけるかというとそうではありません。

もちろん、靴を揃える、畳のへりは踏まない、ドアは静かに閉める、などの「常識」は必要になってきます。けれどもそればかりでは、相手に窮屈さを与えてしまう事もあります。

毎週毎週、自分の家に他人行儀な緊張した医療従事者が来る、となるとそれは少し辛い行事になってしまうこともあります。

かしこまった言葉遣い、ピンとした座り姿、遠慮がちな発言、読めない表情、それはなかなか怖いですよね。

でも友好的だから良いかというと、いきなり胡座で座る、「〜っすよね」と中学生敬語で話し出す、いきなりプライベートな話題を入れてくる、それはそれで、嫌なものです。

その相手に合っているか、それがとても重要なところです。そんな時に自分自身をありのままで、というようなポジティブな訪問看護の提供は望ましいとは言えません。

それは誰のため

統合失調症の方に時間変更を伝えるときに、お時間大丈夫ですか、今日はいかがお過ごしでしょうか、ところで明日の訪問時間なのですが…という流れで時間変更を伝えていました。

ケアマネージャーさんに連絡するときに、最近この方こんなご様子で、病状は安定しておりまして、ところでこちらの事情で申し訳ないんですが来週だけ時間変更を…という、日本人でよくある用件だけを伝えない気遣いを発揮する流れで、同様にしていたのです。

ですが、その方から連絡が来た時は要件が終わっても延々と話し続け、どうにも電話が切りづらいなと悩んでいました。

その時に、あれ、これは誰の常識なんだろう、誰のための話題なんだろうと振り返りました。

そして次からは「こんにちは。すいませんが今日の訪問10分遅れます」「わかりました」ブツッと逆に突然切られるという会話になりました。

私は自分の会話の常識を押し付け、関係ない話題もしてもいいんだ、という認識を誤って与えてしまっていたのです。それからは用件のみを伝え、スムーズに話ができました。

自分が常識であること、気遣いだと思っていること、それが相手にとっても同様なのか、それを徹底的に疑っていかなければ、共に心地よい空間は作れない、そんな手作りの空間を作るには自分を知ることが不可欠なのだと知りました。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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