自信がないとはなんなのか。

精神というくくり

今日は精神のというくくりのお話。

自信がないです、とは

「仕事してても自信がないんですよ」「他の人は自信があって羨ましいです」なんて大人になっても思うこと、たくさんありますよね。

他の人はできているのにな、なんで自分はこんななんだろう。いつになったらあの人みたいにできるんだろう。そんなふうに考えては、自分のできなさに視点がいき続けてしまう。

長年行っている仕事でも、生まれてからずっと20年以上過ごしている人間世界でも、「自信がない」と言うのはどういうことなんでしょうか。

私から見ると、だいぶ上手に息も吸えているし、2足歩行も安定しているように見えます。文字も読めるどころか書けるし、車の運転もできるんですよね。地球上の生き物で車という乗り物を運転できるのはおそらくほぼ人間という生き物だけなのではないでしょうか。しかも日本でできる人はさらに限られます。それができている数少ない地球上の生命体なのに「自信がない」とはなんなんでしょうか。

そういうことは自信がどうこうじゃなくて、当たり前のことだからなんて声が聞こえてきそうですよね。当たり前な事と、自信を持てる事が分けられているのはどうしてなんでしょう。それを分けているのは誰なんでしょうか。

そもそも論でいこう

「自信がない」はなんなのかを解体していきましょう。私はそもそも論が大好きです。

自信がある、とはどんな事が良いのでしょうか。

余裕を持って行動できる、人からも安心して見られる、色々なことに挑戦できる、とたくさんのメリットがありますね。

では、自信がない、とはどんな事が悪いのでしょうか。

行動がしづらくなる、不安になる、能力を充分に発揮できない、とたくさんのデメリットがありますね。

ではでは、自信がある、とはどんな事が悪いのでしょうか。

自分の実力に慢心してしまう、努力をしなくなる、他の意見を聞けなくなりがち、なんて事がデメリットでしょうか。

ではではでは、自信がない、とはどんな事が良いのでしょうか。

努力する事ができる、リスクになる因子をしっかり見ようとする事ができる、周囲に意見を求め改善する事ができる、なんて事がメリットでしょうか。

さて、比べてみましたが、そもそも論です。

自信がある、自信がない、にどっちがいいかの優劣なんてあるのでしょうか。

メリット、デメリットを出してみる限り、どちらも魅力的で、それなりの欠陥もありそうですね。でも自信がないことをよくないことだと感じてしまうのはなぜなんでしょうか。

自信がない「自分」を良くないと感じているのは誰なんでしょうか。

それは、「自信がないことは良くないことだ」と思っている自分がいるからなんですよね。

自信がないことで得られるものもたくさんあるし、自信を得てしまえば失った時の辛さは大きいです。そのデメリットを背負わずにメリットを享受できるなんて、素晴らしい状態とも言えますよね。

どんなことが自信がない、なのか

自信がない、とはなんなのか、という根本に戻りましょう。

自信がないとはなんなのか、と考えてみると行動しているときにオドオドしている、不安で人に意見を聞きにいく、少しの悪いところで落ち込んでしまうとして見ましょう。

ということは、自信がないとはオドオドしていて、人に意見をよく聞きにいく、落ち込んでいるように見える人ですね。

つまり、形容詞です。

形容詞は確かに人の認識に差が出ます。美人だと思う人もいれば、冷たそうと感じる人もいる。太っていると思う人もいれば、頼もしくて素敵と感じる人もいる。

優劣は人それぞれです。ですがそこに優劣があるかというと、認識の差があるだけです。

その認識をしているのは「自分」ですね。「自信がない」ことは形容詞であって「自信」という謎の持ち物を持っているかどうかを問うことではないのです。ならもうその持ち物を問う必要はないですよね。だって「自信がないは形容詞」なんですから。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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