自傷行為の介入方法。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

聞いていいのか

リストカット、飛び降り、放火、他害、オーバードーズ、飲酒、薬物など色んな問題が精神科の問題にあがります。

そんな症状について本人から話してくれた時に「そんなに聞いていいのかなって思って聞けませんでした」と職員に言われることがあります。

確かに聞き辛いし、怖い思いもありますよね。自分にはどうにもできない、言われた時にどう対処していいのかが分からないと感じている職員の、自分の気持ちを守ることもとても大切なのだと思います。

リストカット一つとっても聞くのは怖いし、もちろん見ることも怖い。それで自分ではどうにもならないことを言われても困る…そんな心情なのかな、と思います。

対処しようがないことを聞いても、どうしようもない。これが医療従事者だからこそ陥る「原因解決論」の思考展開なのかな、と思っています。

痛いところがあれば痛み止めをする、腫瘍があれば取り除く、異常を明確にし、突き止めて対処し、根治治療を目指すのが医療のあり方ですよね。

赤裸々に語られた時に「どうしたらいいんだろう」って悩んでしまう。せっかく明かしてくれたのに「解決できない」と悩んでしまうくらいなら聞かない方がいいんじゃないかと思う。

だってそれはその人の生きてきた歴史で、聞いて再燃したら怖いし、自分のせいで思い出して同じことを行なってしまったらどうしよう、と感じるのは当たり前の感情なのだと思うのです。

そこからの続き

けれど、「症状」として存在しているそれは、聴取しなくて軽快を目指せるものなのでしょうか。

痛いところを聞かずに、痛み止めの選定は困難です。腫瘍部位を知らずに手術には挑めません。本人からの発言を何も聞かないで処方、治療に踏み込むことはできませんよね。

COPDの人が「最近歩くと息が苦しい」と言ったのなら、その時酸素はしようしていましたか、感冒症状はありますか、以前より歩行距離は短くても呼吸困難感を自覚しますか、それはいつの出来事ですか、最近お薬の変更はありましたか、と聞いていくのが私たちです。

では、うつ病の人が「死にたくてリストカットした」と言ったのなら、どうしたらいいのでしょうか。

信頼関係や、その人のキャラクター、病状の経過も踏まえて聞き方は考えていかなくてはいけませんが、身体疾患の方に関してもきっと同様ですよね。

聞きづらくても聞いていかなければいけないのです。言うことはきちんと言わなければならないのです。私たちは、医療なのです。

どの出来事があってリストカットをしようと思いましたか、出来事からどれくらい経った後にそうしましたか、それ以外の対処方法を検討してみましたか、それをした後はどんな気持ちになりましたか、今私に話してみて変わる思いはありますか、死にたいのかいつからですか。

その立ち振る舞いは「脳」という臓器が起こしている「思考」や「トラウマ」「経験の乏しさ、偏り」「選択肢の乏しさ」「想像力」など色んな要因が起こしている先にある、一般的に良いとされない行動という、表面に見える「症状」です。

リストカットはいけないけど、カラオケはいい。ODはいけないけど、食べ放題はいい。アルコールの過度な飲酒はダメだけどゴルフはいい。ゲームを昼夜忘れてしてしまうのはよくないけど、読書はいい。

そんな社会通念上に基づいた対処行動を身につけていくことが必要なのは、「社会」というもので過ごしているのが人間だからです。

身体疾患との差

気持ちは目に見えないからこそ分かりにくさもあるし、恐ろしさもあります。

けれど「精神」という学問が目の前にある限り、私たちが提供するものは医療です。

根治治療を目指す場合もあれば、生活習慣に取り入れて、うまく付き合っていく病気もあります。それぞれが、その人の生まれ持ったものであったり、生きてきた過程で得たことで、その結果にたまたま「病名」がついています。

高血圧、糖尿病、うつ病、変形性膝関節症、上気道感染、知的障がい、メニエール病。

たくさんの病気と呼ばれるものと付き合い、共にしながら過ごしていく人生は確かに辛いものです。それは努力というものだけでは解決できないからこそ、医療があります。

その中で少しでも精神疾患と、身体疾患の隔たりが認識してもらえるといいな、と思いながらいつも記事を書いています。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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