今日は教育のトライのお話。

陰性感情
利用者さんのケアをしていて、拒否的な言動があった時、悲しくなりますよね。
「今日は訪問キャンセルで」「〇〇さんから担当を変えてほしい」「ちょっと話をしたくないです」など、こちらに非があるかどうかというより、そう言われるのって普通に悲しい、それが人と人との仲なのだと思います。
そんなときに自分の立ち振る舞いを振り返るのは、まず行うことだと思います。
こう言えばよかったかな、こんなイメージを持たれているのかな、どうすれば良かったんだろうと関わりを振り返ります。
その際には私も参加し、利用者さんがどんな思いを持っているのか、障がいや疾患の時期なども合わせて検討していきます。それで解決できるかというと、人と人とのことなので、反省して改善できる部分は自分の分の半分だけです。
それ以上は想像しても、後悔しても自分がしょんぼりするだけなので、共に結論を出す事までしたら、振り返りは終了です。
振り返りを行っても、利用者さんにもう2度と会えないこともあります。それはそれで利用者さんが決めた事であれば、受け入れて訪問看護は終了となります。
自分との境目
振り返りを行うことは必要ですが、自分のせいでこうなったんだ、と考え始めてしまうと、利用者さんの問題解決に対しての思考が失われてしまいます。
こちら側が変化するべきところもある、ですが、そう至った利用者さんの心理展開や障がい、思考の癖や、生育歴から学んだことを考慮し、どのような変化があり、それが今後の社会生活においてどう影響するのか、どう変容していくことで利用者さんが生きやすくなるのかを考えていかなければいけません。
訪問看護が終了になるとしても、訪問看護という存在をどのように最後に利用者さんの中に残すかは非常に重要な関わりです。
今は必要性がないと感じ、苛立ちの対象であったとしても、いつか変化があったときに「そういえば訪問看護、また受けてみようかな」と思い出してもらえるような存在であることが必要です。その訪問看護は私たちの事業所で再会しないことがほとんどですが、それでも終わり方はとても大切です。
生活の中で寄り添い、定期的に関わり、日常を共にでき、心理的変化に専門的な姿勢で寄り添えるのは訪問看護だからです。
それは誰のもの
利用者さんからの拒否はもちろん悲しいです。
ですが拒否をするという権利を行使したことを受け入れるのも、利用者さんの意思決定の尊重です。それはケアが終了したからといって終わるのではなく、訪問看護と過ごした時間は、必ず利用者さんの中に残ります。
それがマイナスになるのか、プラスになるのかはその時点では判断できないものであり、「終了になる」という目の前の事象に囚われて、落ち込むことは望ましくありません。
利用者さんのプラスになるよう最後まで尽力すること、そして職員自身の中にもプラスで残るような振り返りを行うこと、各々で課題があります。
ですが、全部を「自分のせいだ」と考えてしまうことで、その試みは行えなくなってしまいます。
自分のせいだと感じる思いを責任感と呼べば、綺麗なものなのかもしれません。ですが、そこで自分の思いのみに囚われず、最後まで医療従事者として、利用者さんのケアを全うする姿勢は、とても美しいものです。
その姿勢を職員にさせてあげられるかは、「終了」という目先の利益の損失に囚われない管理者の姿勢があることが、大前提ですね。ここもなかなか難しいところ。
そんな私の根拠のない、教育のトライのお話、でした。


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