今日は精神というくくりのお話。

怒りの表現
怒りや悲しみの時、突発的に思い立ったことをする「衝動性」が時に問題になりますよね。
自傷行為をしたり、他害につながる時もあります。ギャンブルをして散財したり、買い物や過食、放火や万引きなど刑事事件に発展すると、困ったことになります。
衝動的に行動しないように、アンガーマネジメントなどの6秒過ぎるのを待つ、なんて行動を定着できるようにする場合もありますが、彼らの持つ衝動性の威力たるや、後付けの知識や理論に太刀打ちできるようなものではないなと、無力さを感じることも多くあります。
ですが、彼ら自身もそれは困っていたり、後悔を繰り返しながら学んでいく部分でもあります。
確かに困らせてしまうことも多いのですが、自分自身が傷ついたとき、衝動的に行動できる強さはとても素晴らしいものでもあると思うのです。
自分を守る
衝動性の強さが先天的なのは介入が異なるので、今回はおいて置かせていただいて、後天的に身についてきた方々への私の思いを書いていきます。
自分が傷つけられた時、周りの信頼していた人が守ってくれなかった、どうしようもない環境で自分が一方的に被害を受けた、そう感じた経験がある場合に衝動性が高くなる印象を持っています。
それはあの時助けられなかった自分を、今の自分がまた同じ思いをしないように。あの時誰にも助けてもらえなかった裏切りをまた感じないように、今度は周囲を信じるより先に、自分が自分に手を差し伸べてあげられるように。
そう自分を鼓舞し、強くなろうとした努力の賜物なのだと感じます。
それは生きていく上で非常に必要なスキルで、自分が傷つけられた時、すぐに対応して守ってあげるために身につけたものです。それは他者を傷つけること、法を犯すことのデメリットより自分を守ることが先決で、傷つけられることが怖くて、怖くて、その時の出来事だけではなく、昔経験した事象も含めてその時に守ってあげているのです。
限定的なケースへの見解になりますが、トラウマが躍起されるような出来事に遭遇した後からの衝動性の高まりでの行為であることが多いように思っています。
楽しさを衝動に
衝動性が悪いか、というと世間的には他人を傷つけることは悪いので、その衝動は納めていかなければなりません。
そんな時にどうするのかというと怒りや悲しみが衝動的に行動する前に、楽しさで衝動的に行動してもらうようにしています。
感情は優劣なく、平等な存在です。怒りという感情のみが衝動的になるのではなく、怒りでの衝動性が他者に迷惑をかけたり、自分を犠牲にして行動するために他人から目立って見えているのです。
衝動性が高い人は根本的には多趣味でエネルギッシュであったりします。その強みを使って怒りの衝動の対処方法を検討していきます。
その時に「何それ、楽しそう」「それやったら周りの人褒めてくれそう」「それならやってみよう」そんな対応策を提示できればすぐに行動してくれる強さがあります。
「訪問看護終わってすぐにやってみました」こんな行動力はなかなかない素晴らしさです。
「そうしたら親がすごい喜んでくれました」「職員の人に褒められました」そうやって嬉しい、楽しいエネルギーを貯めて、衝動性をコントロールしていきます。
出来事から発生する衝動性、その衝動性から受ける快楽に何よりも敏感で活動的なのは、何事にも代え難いその人の強みです。
楽しく、周囲からも肯定されること、その快楽を自分に染み込ませていくことで、怒りより、悲しみよりも強い衝動が自分の中に染み込んでいきます。そうなった時に怒りの衝動性にも他の感情が混ざり合うことで、自分自身に馴染んでくるのです。
それが衝動性のコントロールなのかは分かりませんし、TICの一部なのかもしれません。でもそうやって適応して柔らかく自分にも社会にも馴染んでいく姿は、しなやかでとても美しいなと感じるのです。
何をかは分かりませんが「乗り越えたんだな」と感じる瞬間です。
そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。


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