訪問看護の仕入れとは。

運営のおしごと

今日は運営のおしごとのお話。

飲食業との差

飲食業には食材を仕入れるというステップがありますよね。

お客さんがどれくらいくるのか、何を注文するのか、それにより在庫を抱えないように、でも注文を断ることのないようにする仕入れが非常に重要なのかなと思います。

同じお店に来たからといって、お客さんみんなが同じ味を求めているとも限りません。肉の焼き加減ひとつ、食事しに来ているのか、お茶しに来ているのかも異なりますし、お客さんの単価も異なります。一定数固定客がついたとしても、それは永遠ではないので、新たな客層を開発するために研鑽していかなければいけないですよね。

コロナや物価の変動、為替や国際情勢などさまざまな要因から仕入れ価格も変動しますし、全国、全世界のどこから何を仕入れるのか、選択肢は無限大です。

コストがかかり過ぎてもいけないし、でもこだわりを発揮し差別化が図られなければ、他の飲食店に淘汰されてしまいます。

そんな飲食業と異なり訪問看護は仕入れがないから安定しているかというとそうでもありません。

前述したものと同様、「訪問看護」という同様のサービスを希望していても求めるものは異なります。優しい人がいい、治療の相談に乗ってほしい、家族のこともアドバイスして欲しい、精神的な面を見てほしい、医療機器の管理がわからない、自宅で亡くなりたい、などニーズが様々です。

月1回の訪問もあれば毎日きてほしい人もいますし、看護師だけではなくリハビリをしたい、その希望により顧客の単価はばらつきます。人数が揃えばいいかというとそうでもないのです。

救急車が患者さんを運んできてくれるようなこともないので、ケアマネージャーさんや行政の方、病院や地域に事業所を知ってもらい、利用者さんに会える機会を頂かなければいけません。

一定数の利用者さんを紹介してもらえるようになっても、病院の担当者が変わる、先生の引退で閉鎖する、定年を迎えて仕事を辞められる、担当部署が変更になり関わり合いがなくなるなど、たくさんの変化が人の数だけあります。

それは予期しない隕石のような時もあり、大打撃になることもままあるのです。

熟成させるか、腐らせるか

看護師にせよ、セラピストにせよ、事業所にいるだけではなんの稼ぎにもなりません。

飲食店と同じく、お客様の前に出なければ、注文が入りお客様の前に運ばれてこそ金銭が発生するのです。しかし、明日は行事があるから仕入れを増やしておこう、というように気軽に医療従事者の採用はできません。

確かに医療従事者をこの日だけ雇うこともできるのかもしれませんが、事業所というブランドのケアを行える職員を育てるには、一定の時間がかかるのです。

訪問に回らなければ利益が出ないですが、教育には時間がかかります。しかし、しっかり向き合って時間をかけ教育しないと熟成するどころか腐ってしまうのです。

漫然と何もしないのではなく、疑問を持ち成長を促さなければなりません。同じ冷蔵庫に入れていてみんな同じように熟成しないように、温度変化や熟成度合いを見極めなければならないのです。

そう考えると、事務員は何かというと、調理器具のような役割なのかもしれません。

料理は食材だけでは仕上がりません。契約や指示書の発行、報告書の提出、支援者への連絡などの様々な調理や味付け、皿で着飾り、適切な副菜を添えてこそ引き立つのです。

固定費という課題

仕入れは変動することができます。しかし、人件費という名の仕入れはそうはいきません。今日まで働いて、明日から来なくていいよとはいかないのです。しかし、明日から初めて来て顧客のニーズに合わせられるかといっても教育を施す時間がいるので非常に困難です。

事業が頓挫する原因として、固定費の増大が挙げられます。恐怖心もありながら人という無限大の可能性にかけること、それは自分の目利きと意志に事業の存続を賭けられるかと同義語であると思っています。

飲食業ほどの顧客変動や、競争社会ではなく、物価変動の波も穏やかな方だとは思いますが、やはり医療従事者という限定的な人材の採用には困難を感じます。

けれど、一つ一つをオーダーメイドにお客様のもとに届けたいというホスピタリズムは共有できるものもあるのではないかと、この記事を書いていて思いました。

美味しいものは美味しく、良いものは良く、味付けは最小限に素材の良さを活かして届けたい、そんな志は飲食業も訪問看護も共通であったら面白いななんて思っています。

あなたの幸せのために、毎日働いています。そんな仕事で世の中が溢れかえるといいなと思っています。私も必ずや、その一員に。

そんな私の根拠のない、運営のおしごとのお話、でした。

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