一番いい言い訳の作り方。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

自分にはないもの

私にはできないと感じる時、人は理由を探しますよね。それが言い訳と言われたりしますが、このパターンの言い訳多いなぁと感じるのが「自分ではどうにもならないものを理由にする」です。

「もうこんな歳だから」「子どもがいるから」「男だから」などなど、自分ではどうにも変化できない、自分にはないものを理由として持ってくることが、自分を守る術として利用しやすいのかなと思います。

かく言う私も「管理職の経験ないから」「部下より年下だから」「精神科の病院経験ないから」とブツクサ言っていた時期ももちろんありました。あぁ、この言い訳の種類を使っていたんだな、と今は例え話でだいぶ活用できていて、言い訳した恥ずかしさより元はとったな、と思っています。

変えようがないものはそれだけ背負ってきたものであり、重みがあります。なので「こんな歳だから」と言っても、徐々に体が動かなくなってきている自分や、物覚えが悪くなってきたりするのをずっと感じてきているのだと思います。

ですが、自分がどれだけの経験をしてきたか、たくさんのことを考え、知識を得てきた象徴も年齢なのではないでしょうか。

子どもがいることも、時間の制限は多数ありますし、自分ではどうにもならないことが多いです。寝不足にもなるし、休息も取れないし、人生をかけての大仕事です。

ですが、子どもがいるという人生の豊かさや、一人の人間を育てているという情緒的な関わりは他では得られない経験でもあると思います。

どう捉えるか、の発想が異なるだけです。

できなくて当たり前

自分と他人を比較すると、違うところが浮き彫りになります。当たり前ですよね、違う人間なんですから。

私も管理者という職位がある分「所長だからできるんですよ」とよく言われることがあります。病院にいたときは役職はありませんでしたが、歳が上になると「〇〇さんだからできるんですよ」と言われることも多くありました。

そんな人に私は一つの疑問を持ちます。

自分と全く同じ条件でこの世界に生きている人なんているの?

誕生日や出生地、家族構成から家の環境、小学校に中学校、高校、部活や友人関係、出会った人間や食べてきたもの、天気や持ち物、見てきたTV番組や趣味、それらが何十年と積み重なってその人ができています。

同じ高校を出ても、同窓会で久しぶりに会った同級生が全く同じ人生を歩んでいるなんてイリュージョン、起こりませんよね。

その相手の生きてきた一番の最終地点である「今」という結果しか見ていないのにも関わらず「〇〇さんだからできるんですよ」というのは非常に浅はかな知見であると思います。

その人がどんな努力をしてきたか、何を経験してきたか、幾度となく挫折してきたのか、どうやって乗り越えてきたのか、それらを全く知らず「〇〇さんだからできるんです」では、そりゃそうでしょ、その人がやってるんだから、と思わざるを得ません。

自分になる努力

けれどその人が「〇〇さんだからできる」も「自分だからできる」に簡単に置き換えは可能です。

何より自分がしてきた努力や経験、挫折を誰よりも分かっているのです。そりゃそうでしょ、自分が体験してるんだから、と思わざるを得ません。

自分が生きてきている毎日は、いかに自分という人間を自分にできるかの積み重ねです。自分が選択する全てのことは、どんな選択であれ、自分を自分にしていきます。

それが自分になる努力です。〇〇さんにはできる、けど自分にはできない、なら〇〇さんにはできる、けど自分にもできる、それは努力です。

〇〇さんだからできる、と思うのであれば、その人は努力と達成の仕方を知っているのであれば教えてもらいましょう。自分になる努力は、自分が選択するもので作られています。

自分だからこそできるという可能性を信じることも、自信という成功に欠かすことのできない一歩です。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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