結論を出さない。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

どうしたらいいですか

うつ病の方が特に多いかなという印象なのですが「どうしたらいいですか」と直接的な質問をもらうことがあります。

仕事を休職している「どうしたらいいですか」、人間関係で悩んでいる「どうしたらいいですか」、親との関係を引きずっている「どうしたらいいですか」、恋人との付き合いがうまくいかない「どうしたらいいですか」などなど、具体的な行動指針を示して欲しいという希望は多くあります。

考え方の修正や、認知の歪みの是正、生きやすく過ごせるように関わってはいますが「で、どうしたらいいんですか」と生き急ぐ気持ちも確かにあります。

明確に「これをやったらよくなるよ」なんてことがあったら、うつ病なんて病気がそもそもこんなに周知されてないでしょうし、行動指針とすれば食べて運動して寝る、これ以上はないような気もします。

どうしたらいいか、は結論を早急に出したい焦りからくるものです。果たしてその人生への焦り、誰を苦しめているんでしょうか。誰が苦しめているんでしょうか。いつも通りですが、ご自身です。

「これ1冊で理解できる人工呼吸器」「明日から大丈夫、新人看護師の心電図」なんて本は私も新人の頃はたくさん買っていた気がします。「心配ない」「明日から」「もう大丈夫」そんな自分の不安を払拭してくれるようなものがあったら飛びついてしまいますよね。

これがあれば明日から先輩に聞かれても大丈夫になれる、あの先生に色々聞かれても怖くない、夜勤でも心配なく担当できる、なんてことはやっぱり夢物語だと、何冊も購入した後に気づきます。

「3日で治すうつ病」なんて本があっても信憑性が乏しいなと感じるのは、治すということがそんな容易いことではないとご自分でも分かっているからなのだと思います。

でも、どうにかしたい。その焦りが私たち医療従事者に投射され「どうしたらいいですか」と結論を求めてしまうのです。

どうしたいですか

どうしたらいいか、の質問にはどうしたらいいかと考える自分の気持ちを省察していけるような関わりをしていきます。

ですが、焦っている場合は苛立ちがあらわになったり、役に立たないと罵られることもあったりします。それにしょんぼりしてしまったり、焦る職員もいますが、それは二次被害となるので極力避けたいところです。

みんな自分というフィルターを通して世界を見ています。自分の焦りや、どうにもできないと感じる苛立ち、それを通して訪問看護と接するからこそ、その標準が訪問看護に合ってしまうこともあります。

それも含め症状なので、苦情が出たとしても、関わりを振り返りはしますが、その焦りを気づかせてあげられるのは、焦りからくる苛立ちを当てられた私たちだからこそできる援助ではあるので、そういう時期あるよねぇという気持ちで受け流すようにしています。

受け止めてはいけません。こちらも辛くなるので。

どうしたらいいかは、どれだけぶつけられても、こちらは答えを持ち合わせていないのです。だってご自身の人生ですから。それは自分で考え、悩む時間こそが人生で、それが治癒過程でもあり、エンパワーメントでもあります。

どうしたいのか、それが出てくる関わりを続けるしかないのです。

結局は誰のものか

自分の人生は残念ながら、自分で生きなければいけません。考えも選択も、決定も実行も、反省も立て直しも自分で行うのです。

この場面にはこうしたらいいよ、はあるかもしれませんが、これを身につければ未来永劫大丈夫、なんて使えるものなんてありません。

休職の危機を乗り越えても、彼氏との別れが来たり、友人に裏切られたり、親が亡くなったり、自分が新たな病気になったり、仕事先が倒産したり、コロナが流行ったり、消費税が増えたりします。

人生にはいろんなことがあるのです。それも全部自分で選択し、進んでいく他ないのです。どうやって選択をするのか、その基本のキを訪問看護で学んでもらえたら、きっとハリネズミみたいだった自分も振り返れる時は来るのです。

人生は良くも悪くも自分だけのものです。誰かに「どうしたらいいですか」と聞いてそれ通りにするというような人生の舵取りを他人に任せてはいけません。

生きる、それこそが一番の治癒過程です。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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