置き手紙のように話す。

教育のトライ

今日は教育のトライのお話。

なんとかしたい

悩みを相談されたり、落ち込んでいたりしている人を目の当たりしたら、なんとかしてあげたいなと感じるものですよね。

訪問看護では、病院より刺激的な世間の渦中にある方を担当するため、私たちから何もなくとも、眼中にもない把握していないところで、とても落ち込んできたりすることもあります。

全ての刺激はコントロールすることはできないし、世間はたくさんの出来事で溢れかえっているからです。雨だったり晴れだったり、買い物にいかなきゃいけなかったり、髪の毛を切りに行ったり、病院に行ったり、叱られたり泣いたり、悩んだり落ち込んだり、世の中は目一杯の出来事で溢れています。

そんなたくさんの出来事を前に呆然としている人がいたら、なんとかしたい、してあげたい、そう思うのは普通のことだと思います。

訪問看護でなくとも、知り合いが精神的に落ち込んでいたら、なんとかしてあげたい、そう思い声をかけてあげる方も多いのではないでしょうか。

落ち込んでたら元気になってほしい、それは人間関係上よく感じる思いなのではないかなと思います。

解決で安心するのは誰か

根本的な解決がなされる場合もあれば、そうはいかない場合もあります。 

ゴミの日を間違えて叱られた、ならゴミの日を共に調べて捨て方を知るだけで解決されますが、自分に押し込んでいた長年の思いであったり、親や他者に抱いていた積み重ねたものだったり、たくさんの要素が絡まったものであると、その場でパッと解決は難しいことです。

ですがつい、解決まではいかなくとも「確かにそうだね、すっきりした」「ありがとう、話してよかった」なんて言葉が出てきたりすると安心しますよね。

けれど、その安心は誰のものなのかというと、訪問看護の職員のものなので、それがよかったかというと自己満足と呼ばれざるを得ないものだと思います。

解決の糸口は人それぞれです。社交辞令かもしれない、建前かもしれない「ありがとう」に一喜一憂するのはこちらの自由です。ですがその自由が、利用者さんの満足を阻害してしまうかもしれない可能性を自覚しなければ独りよがりまっしぐらです。

解決という分かりやすいゴールで慢心しない思いは非常に大切です。人生において「解決」なんて分かりやすい答えはそうそう登場しないのです。マスターボールがあってもゲットできないレア回答です。だって登場しないんですもの。

何度でも読み返す

必殺技の決め台詞を放って退治したいお悩みですが、そんな必殺技はなかなか現実世界には存在しないので、私としては、置き手紙風のじわじわ効いてくる余韻残し発言をします。

プレゼントをあげた時、「わー、これ嬉しい」と目の前で笑顔で喜んでくれるのってとても嬉しですよね。でもその後、自分がいないと思っているところで独り言のように「本当可愛な、これ」なんて言っている姿を見たら余計嬉しくありませんか。

褒め言葉を人づてで聞くと客観的で信憑性が高いと感じられることをウインザー効果と呼びます。それを一人でやっている訪問看護で演出するには上記のような、独り言感を出して、思った本音の褒め言葉が何気なく口から出てしまった感を演出し、伝えたりします。

そんなこと思って、その伝え方しているのかと思うと怖めですが、私としては自分が自然に行なっていたことがこんな名前が付いていた、と発見した感じです。

置き手紙のように、数年経っても「あの時本音でこう言ってくれてたな」と思い返し、直接的な解決でなくとも利用者さんの心に残るような素朴で温かい日常を提供したいなと思うのです。

なんとかしたい、と思う焦りに、なんとかなってるという安心を担う一助でいたい、それが私の願いです。

そんな温かみのある、寄り添った一言を渡したい、そんな気持ちで職員には伝えています。

そんな私の根拠のない、教育のトライのお話、でした。

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