メガネの度数はいくつですか。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

何が見えているか

相手の立場に立って物事を考えよう、は義務教育でも多数課題として出され、作者の気持ちは何ですか、この人はどんな考えでしたか、という質問も多くされますよね。それにマルバツがつくのはいかがなものかと議論に上がることもありますが、そんなこと考えないでしょ、と思うことでも、もしかしたら思っているかもしれません。

自分から見える景色だけでなく、他人から見た景色も想像することで、物事の奥行きや思いも受け取ることができ、当たり前の出来事でも印象深く残ることもあります。

相手の立場に立つというのは非常に難しいことです。自分が経験したことのない事について思いを馳せることは、安易に行うことで軽率な見解になりかねませんし、こちらは分かったつもりになったことで相手を傷つけることもあります。

看護学生の時、産婦人科の実習で産褥期の方を担当することがありました。助産師さんは若い女性で、経産婦さんは3人目を産んだベテランのママさんでした。何かしらのすれ違いがあり、看護学生だった私に経産婦さんは「結局産んだことない人には分かんないのよ、あんな若い助産師さんじゃね」と言いました。

確かに経験してないと分からないことって多いよな、産婦人科の助産師さんはママさんじゃないとそう思われるのか、と思ったのをよく覚えています。

でも、看護師15年程度経験してみて思うのです。私は糖尿病にも、胃がんにも、大動脈解離にも白内障にもなったことないぞ、と。経験こそ全てではないのです。経験してない人生を歩んだからこそ、言えることも必ずあるのです。

同じ景色を見たことがあったとしても、見える事柄は異なります。それを絶対的に不足している「経験」という事柄に依存してしまうと、何もできなくなってしまいます。同じ景色を同じ様に見るのは、不可能なのです。

共有する技術

相手の立場に立つことはできない、でもいいと思います。そんな易々と分かるような十把一絡げの人生を歩んでいる人は誰もいません。全てが孤高の存在であり、その人生を歩んできた人に「分かる」「そういう時あるよね」なんて表面上の共感は必要ないと思っています。

ですが、分かろうともしない、のは話を聞く上で非常に不利になります。この人全然人の話聞いてない…、分かってないな…と好感度を著しく下げかねない事態になります。

相手の立場に立つ前にお勧めしているのが、自分がどんなメガネをかけて景色を見ているかを知るということです。

相手の見ている景色はもちろんですが、自分の見ている景色の偏りが見えない事には、どんなに相手からの景色を考えたとしても歪んでしまいます。共有するときにもどう偏って相手が見えているかを分からなければ伝えられないのです。そのためには本当の、本来の景色は何なのかを知ることが必要不可欠です。

本来の姿

自分がどんな景色を見ているかが、すべての物事の基準になります。どんなものに心を動かされるのか、何を見ないでいるのか、どれを誇張しているのか、何が目に入らないのか、それは当たり前に見ている景色ですら個性があります。

本来の姿は何なんだろう、そう考えることすらないほどに見ているのが、自分の見ている景色です。

あの人態度悪いよね、あそこ行ってみたいな、あの人やっぱりそうだったね、あの場所ってなんか嫌じゃない、そんな普段の会話で出てくる景色ですら、個々の価値観やバイアス、信念や偏見、トラウマや経験が多数出現しているのです。

今更ですが、自分が見ている景色はどんななのか、考えてみてください。

何が鮮明に見えるのか、何に注目しているのか、そのメガネを外せた時の世界に、希望を持つのか、絶望するのか、それはこれからのお楽しみなのです。ぜひ、自分のかけているメガネについて考えてみてください。

相手の立場に立つ前に、あなたはどこに立っていますか。意外に崖っぷちだったりするかもしれませんね。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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