症状?障害?性格?

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

目に見えない神話

精神科の看護を訪問看護で初めて経験した私ですが、その後「精神科は初めてです」の訪問看護師さんを採用、教育してきました。みんな一様に言うことは「目に見えないから難しいです」が非常に多いです。

そして感じるのは「精神科は目に見えないのか」と言う疑問より「他の病気だって目に見えないのでは」と言う気持ちです。

じゃあ糖尿病でインシュリンの感受性が低くなっていたり、分泌量が減っていたりは見えるのだろうか、HbA1cや血糖値で把握したりできますし、インシュリンの投与量で血糖値が変わればそれは確かに「見える」と言うことなのかもしれません。

では精神疾患ではどうなんでしょうか。IQ、EQなどの測定値は目に見えたり、薬剤の効果は症状に現れます。薬剤の血中濃度は測定できますし、レントゲンに写らない疾患は他にもたくさんあるように思います。

同じように並べたい訳ではないのですが、脳と言う臓器が起こしている障害や病気という概念を確立していくことで、精神疾患は甘え、なんて時代錯誤だなという時代が来ればいいなと思っています。

確かに目に見えない部分は大きいです。けれど、他の疾患より「耳で聞く」情報が非常に多い疾患なのではないかと思っています。

あなたは誰

ここで極端な思考になる、同じことを複数回言う、この感情に対してはこの言葉で表現する、この事象になるといつも同じ考え方に落ち入る、などなどこちらの聞き方も重要ですが、その人に出現している事象は把握していくことができます。

で、どうしたらいいんですか、とよく聞かれるのですがその時は「症状、障がい、性格に分類してみるといいよ」と話をしています。

糖尿病も、後々の過度な暴飲暴食で発症する場合もありますが、遺伝的要因で元々なりやすい場合もありますよね。家系的に大柄であったり、運動が好きではない性格、活動量の少ない生活など、色々な要因で複合的になります。

うつ病も、何か明確な契機があり心にダメージを負ったのかもしれませんし、元々うつ病気質の両親に育てられ、そんな両親を見ていることで思考が傾いていくこともありますし、家系的に過度に社会的なステータスを求める家柄であったり、そもそも人と関わる仕事が向いてない性格、ストレスへの対処行動を学ぶ機会が乏しい過ごし方をしてきたのかもしれません。

それが性格なのであれば、それはその人の個性です。訪問看護で人と関わる機会を増やし、抵抗感を減らせるよう努めることはあっても、治療対象かというと、そういう訳ではないことが多いです。糖尿病の人に「運動が好きな性格になろう」なんてプログラムがあったとしたら、だいぶ大変ですもんね。

それが障がいなのであれば、自認し、表面の行動を変容させたりすることはあっても、本質的に変化するかというとそうではありません。ですが、自覚をすることは、当たり前であった自分にある特性を理解していくことで、生きやすくなるにあたり、とても重要です。遺伝子検査で「あなたは脂質の感受性が高いです」なんて知ることと同じ感じなのかもしれませんね。

それが症状なのであれば、医師と相談の元での薬剤療法であったり、専門的なEMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)などの訪問看護では行えないような心理療法の対象であったりします。これは糖尿病で言えばインシュリンや内服などの薬物療法に当てはまってくるのかなと思います。

受容と変化

「目に見えない」は確かに恐怖を感じますよね。自分がどんなに介入しても変化が見て取れなければ、不安にもなります。

ですが精神科疾患は、私たち自身が検査にもなり、薬にもなり、毒にもなってしまう領域だと思います。

でもそれは特別なことなのでしょうか。糖尿病だって、末梢神経障害は目に見えませんし、私たちの言葉で自己コントロールをやる気になったり、自暴自棄になったりしてしまうことはありますよね。

私たちが精神科疾患に偏見を持っている、それは長い日本の歴史がそうさせているのもあります。看護師だからこそ、偏見を強く持っている場合もあります。

精神疾患という偏見。にも記載しましたが、私も偏見を持っています。偏見は持っていていいものです。無理に崩そうとせず、そのまま持っていていいのです。

まずは受容すること、でなければ変化はできません。そう考えると、感情と一緒ですね。目に見えなくても、それでいいんです。だからこそ、私たちの感情にグッと立ち入ってくる部分があるのかもしれまませんね。

だからこそ、そこで拒否的にならずに冷静な医療の目が必要なのです。ぜひ分類、してみてください。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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