今日は精神というくくりのお話。

一次感情
不安や焦り、心配や寂しさ、それらを一次感情と呼び、そこから発展する感情を二次感情と呼びます。二次感情に発展する前に対処をしてあげることが大切で、その対応が自分の感情に合っていなかったり、気づかないふりをしたりすることで、心の重荷はどんどん増えてしまいます。
焦りや不安を感じることは非常に苦しいことです。つい「こうしたほうがいいんじゃないか」「あれが良くなかったのでは」などの反省をしたり、対処をシュミレーションしたりしてしまうのが常ですが、それは感情に寄り添うことではありません。
悲しいものは悲しいまま感じる、それが感情が必要としている最初の対処です。
悲しいな、と思いながら過ごすことはとても辛いことです。ですが、きちんと落ち込み、泣き、過ごすこと、それが感情に寄り添うということです。
感情に寄り添い、感情のご機嫌をきちんと回復しなければ理性は働きません。対処行動を図るには感情に浸ること以上に迅速な対処はないのです。
慣れてくることで、自分の感情を自覚し癒すことはできるようになってきます。最初は辛いかもしれませんが、自分という生き物の手綱を握っているのは感情です。これ以上に特別扱いしなければならないものはいないのです。
対処を感情と思わない
二次感情は一次感情が合わさり、複雑となり、発展した感情です。それにより、自分への対処が困難になります。
ですが大人として過ごしているみなさんは、その感情を押さえつけ、冷静に「物事」を見て判断し対処をしていくことが、多いのではないかなと思っています。しかし、感情に浸ることは感情に振り回されることとイコールではありません。むしろ振り回されないために、浸るのです。
感情について話を聞くと「この後はこうしました」「そういう時はこれをするようにしています」と対処行動の話をし続ける方が多くいます。
悲しいや不安、焦りなどではなく「〇〇があったからこうした」と、出来事や行動のみで感情を片づけてしまうことが習慣化した方々です。
その時どんな気持ちだったの、と聞いても「だから〇〇したんです」と行動を話されます。どんな気持ちだったか、それを言葉で表現することは実は難しい技術です。
感情の言葉を知っていても、自分にどう当てはまるのかが分からない、そんな方は多くいます。自分の感情に名前を一つ一つ、つけていくこと。それは自分を創っていく工程でもあります。
お寿司を食べすぎない
安心というほっとした気持ちにさせてくれる「食べる」という行動は対処によくありますよね。
お酒を飲んだり、誰かと話したり、寝たり、ゲームをしたり、自分を喜ばせることができる技術は素晴らしいものです。
ですが、その対処がいつまでも、なんでも癒してくれるとは限らないのです。
悲しいことがあった、お寿司を食べよう。仕事でトラブルがあった、お寿司を食べよう。失恋した、お寿司を食べよう。友人が病気になった、お寿司を食べよう。楽しみにしていた行事なのに雨が降った、お寿司を食べよう。
いろいろな感情になる毎日では、同じ対処行動ばかりでは自分の気持ちは癒せません。その行動が感情をもたらしてくれるのではなく、どの感情に向けてその行動を選択したかの考えが必要です。
「自分を癒すために、自分が行動した」その事実が何よりも自分が喜ぶことです。ちゃんと感情に寄り添い、感じ、そして対処していく、自己肯定感の定着は実はこれが一番効くんですよ。
そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。


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