コーピングなるもの。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

コーピングとは

ストレスの対処行動を指す言葉として用いられるのが「コーピング」というものです。コーピングをどれだけ多く持てるか、有用なコーピングがどのくらいあるかが生き抜いていく上でとても大切になってきます。

それは経験していく上で備わったもの、教わったまま使い続けているものなど多くの種類がありますが、大切なのはどうやってコーピングを習得したか、よりも、生きている今現在「効果があるか」が重要です。

コーピングは人によって様々ですが、本を読む、ドライブをする、寝る、ゲームをする、友達と遊ぶ、美味しいものを食べる、運動する、などが一般的には多いのかもしれません。

コーピングのバリエーションが偏っている場合もあります。ギャンブルであったり、リストカット、オーバードーズ、過食嘔吐や他者を怒鳴る、殴るなどの行為、自傷か他害かを問わず、警察などが介入する場合もあります。

それも「効果があるか」という観点で見ていって、有用ではないと判断しても本人がそれ以外の方法を知らない、取れないとなれば共に考えていかなければなりません。

ですが、私たちが勝手に「これやって」「あれやってみて」というのでは効果は乏しくなります。なぜならコーピングは「自分をケアする行動を自分で選択して、自分のために行う」という部分に意味があるのです。

何をやるか、ではなく、どんな気持ちで、なぜやるのかという部分が重要です。

ねぇそうだよね

でもただ話をするだけではなく、私たちはその中で思考の癖や好みなどを把握していきながら、感情の整理のお手伝いをしたりします。

「話を聞いて欲しい」という希望があれば、そのまま話を聞こうと思う職員は多くいます。

情動処理型コーピングでは、ストレスの原因となる捉え方を変え、前向きに考え直す方法です。

よく女性に多そうと言われるような「共感してほしい」という言葉に現れるのですが、一緒に怒ったり、悲しんだりしてもらうことで自身の情動を緩和させたり、整理をしようとする方法です。

たくさんのことをつらつらと話をすることもありますが、それをいかに整頓しながら聞くことができるかがこちら側の技術を問われる部分です。ですが姿勢としては聞き役に徹することが役立つと言われています。

ADHDなどの感情の起伏が明確で、自身で処理がし難い場合に私はこの関わり方をすることが多いです。ですが、私自身この接し方が苦手です。

二次感情まで発展した思いの分解に時間がかかりますし、怒りに発展していると他の出来事にも飛び火してしまい、心の中が大火災という感じになってしまっています。鎮火にかなり時間がかかりますし、完全な鎮火が困難です。この燃えかす…まだ残ってたのか…と数ヶ月後に思い知ったときにはしょんぼります。

情動は情動なので、次々と湧き上がります。それが職員が対象になることもままあります。けれどそれを共に経験することで、今後に生きてくる部分は非常に大きい財産です。

共感していればいいか、というとそれだけでは増幅させてしまうこともあるので、鎮火に向かわせながらも、でも寄り添う姿勢が大切です。

穿った質問

認知的再評価型コーピングでは、本人の見方と異なった視点や、利用者さんが気づかなかったような価値の発見が必要になります。

職員に教育をしようと思っても、難しいのはこちらですが、私がいつも1on1ミーティングで徹しているのはこの姿勢かなと思います。

着眼点を変えて、立場を変えて、利用者さんの視点を広げていくことが必要です。ですが、穿った質問をしていくことで不快感を示す方もいます。

当たり前ですよね、自分の確固たる見方にそんな角度から言ってくる?という思いになるのですから。けれどこの部分にどれだけ明るく楽しく食い込めるか、その視点面白いねと感じてもらえるかは職員の立ち振る舞いによります。

だんだん大喜利みたいになってくる時もありますが、利用者さんがそこに楽しさを見出してくれれば問題が起きた時、職員に悩みを話し終わった時から、パッとした顔になっています。

さぁ、私のこの偏った見方をどうしたらいいの、という解決策の快感を感じるのです。

色んな意見を取り入れることは、オープンダイアログのように大人数がいればアイデアが出やすいのかもしれませんが、必要なのは突飛なアイデアではないのです。

求めているのは職員という人間との対話です。傾聴でも共感でもない、対話です。相違性こそ面白い、と感じてもらえるかどうか。人間関係の悩みは尽きませんが、それを緩和していくのも人間なのが面白いところですよね。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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