人と比べてしまう時。

精神というくくり

今日は精神というくくりのお話。

あるある

どんな年代であっても、人と比べてしまうことはよくありますよね。SNSが当たり前になった現代では、羨ましいことで溢れています。

持ち物、洋服、容姿、スタイル、家、パートナー、仕事、お金、人間関係、自分が持っていないものを数えたら無限大です。

幼少期から成績や足の速さ、筆箱やシール、おもちゃやゲーム、いろんなことを他者と比べながら生きることが当たり前でした。羨ましいな、いいな、あの人は私とは違う、どうして私はこんななんだろう、そう卑下することも日常的にありますよね。

成績や運動会の勝ち負け、コンクールや発表会、自分と周りの差を感じられる場面はいくらでも用意されています。

社会人になっても同じで、仕事にしてみても、あの人は新規よく取れるな、キャンセルが少ないな、上司から信頼されているな、プレゼンテーションが上手いな、職場の人との人間関係が良好だな、などいつでもどこでも羨ましい気持ちは健在です。

学生時代ほど明確な5段階評価というわけではありませんが、やはり差を感じることは日常的に点在しています。

それは同じ条件か

側から見て目に見えるほどの他者の良いところとは、おそらく長所であることが多いですよね。人から注目されるほど目立つ部分は本人も自信があるところなのだと思います。

では、他者のできている部分が目について羨ましいとまで感じるところは、果たしてあなたの長所なのでしょうか。相手のではありません。あなたの、です。

人間自分ができないところは特に目についてしまうものです。大事な視点は、自分の短所と相手の長所を比べていないか、というところにあります。

将棋のプロでも、短距離の選手と短距離走をしたら、負ける可能性は高いですよね。だって、自分が得意なのは将棋なんですもの。短距離走は自分の土俵ではないし、そもそも不得意だからこそ頭を使う将棋に特化した人生を送っていたのかもしれません。

短距離が速い人を見て羨む気持ちはありますが、自分にはしっかり将棋という得意があるのです。

何もない、と思う人もいるかもしれませんが、自分の得意は自分にとっては当たり前すぎて見えなくなってしまうことが多いです。羨ましいと思われるところが当然と感じたり、みんな実はできるけど、気を抜いているだけでしょなんて思ったり、自分の強みは忘れられがちなものです。

不安定なときに

自分の強みを当たり前なんて思って、主張も謙遜もしないくらいなら程よいバランスで過ごせますが、常にそんな安定的なバランスを保つことって難しいですよね。

自分の気持ちが不安定な時は、余計に劣等感が強まったり、嫉妬心が暴走したり、コントロールがつかないこともあります。

そんな時に自分を褒めることは難しいと思います。できてるよ、偉いよ、素晴らしいよ、なんて安っぽい言葉を自分にかけても心が荒んでいくだけですよね。

不健康な時には「自分の不得意と、相手の得意を比べていないか」その基準を見直しましょう。ルールも勝ち負けも異なるのであれば、そもそも争うことも勝ち負けをつけることもできません。

自分に自信を持たなくてもいい、ただ違う土俵で戦っていないか、その視点が大切です。

自分の得意な土俵はどこなのか、それをまずしっかりと把握することが自分への優しさにつながりますよ。

そんな私の根拠のない、精神というくくりのお話、でした。

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